1999年、オークランドでギャンブラー。

ギャンブラーな日々 ファインマン記

2000年、ミレニアムな一時を控え、私は、オークランドに巣くっていた。ちょうど、30歳の時だ。薄暗い2段ベットの下段から私の朝は始まる。

ヒルトンに何か月だろう住み着いていたのは。

英語もろくにできず、お金もろくに持っていなかった。ビリヤードとチェス、他に何にもない町だった。小さなカジノに入り浸り、はした金で賭け事をする日々だった。

ドミトリーは16人部屋で、人が流れるように入っては、みなリックを背負っていなくなっていく。ヒルトンといっても、キゥイーヒルトンバックパッカーという安宿だ。レートも安かったのだけは覚えている。カジノで数回勝ち越せば1日持った。バックストリートボーイズの歌をひたすら覚えていた。そして、常にマックお代わり用カップを持ち歩いていた。それだけあれば、いつ行ってもお代わりし放題だった。

ブラックジャックには、必勝法があるということで本屋で座り読みしては無駄な努力をした。いくつもの安宿を巡回し、旅立つ人が公共スペースに置いていく食べ物を回収などもした。スパイスに目覚め、ガラムマサラを覚え、自家製のカレーにハマった。

そして、天使にもあった。港の近くのストリップ小屋で、人生でこれほどまでにきれいな人がいるのかとその時思った。意気地なしの私はチップも渡せなかったと記憶している。

ここに5か月も巣くって、この後、北上。80Lのリックに一人用のテントを背負い、Hideaway Lodge、ケリケリへ。

つづくかも。

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