Hideaway Lodge、ケリケリへ。

ファインマン記

ニュージーランドの安宿でくすぶっていた生活から、北島を北上。果物などの収穫をして、お金を稼ごうとHideaway Lodge、ケリケリへと向かう話である。

Hideaway Lodge、ケリケリへ。

オークランドから、ケリケリへ果物の収穫をするために、多くの外国人たちに交じってやってきた。Hideaway Lodgeという短期バイトを斡旋してくれる簡易宿泊所である。送迎もしてくれる。最初は、雰囲気をつかむため、ドミトリーに止まった。

ドミトリーを簡単に言うとタコ部屋である。荷物だけやたらとでかく、どしりと重い。オレンジ色の80Lのリュックサック。サッサと、荷物だけおいて、明日の仕事の予約だけを受付で手配する。

日本人も常時10人ぐらいはいると思う。最初は、その日本人に大まかに教えてもらった。決して、日本人ばかりで群れているというわけではないが、日本語が通じるのはうれしい。いろんな国の人が入れ代わりながら、流れていく時間。楽しかった。

カウンターがある受付棟。プール。テレビやビリヤードがあるリビング棟。キッチン棟。シャワー棟。そして、百何十人も泊れる宿泊棟。そして、キャンプスペース。駐車場。

確か、最初の仕事は一日中、苗を植える作業だった。朝から夕方まで、昼食を挟んでひたすら苗を植えた。何の苗かは覚えていない。サッカー場みたいなところが沢山もあり、先が見えなかった。救いなのは一人ではなく、10人ぐらいの仕事だったことである。

いろいろな仕事をした。ひたすら、植木鉢に土を入れるだけの仕事。機械が入れない所の草取り。雨の中の豆の収穫。成長の早いズッキーニの収穫。雑草防止の黒いビニールの設置、ビニールハウスの設営。農作業の機械ができなかったり、金銭的に機械をまだ使えない農家の人海戦術的な仕事が多くあった。

そして、機械を使う仕事。こちらは、30メートルはあるんじゃないかと思うほどでかいトラクター。一度、トラクターが畑わきの蜂の巣をつぶして、大量のハチに追いかけられ、本当に怖かった。

私は、最終的にマンダリン(みかん)の苗木の管理の仕事を長期間やらせていただいた。もう一人の日本人と。その彼は、オーバーステイしていて、私が帰った一年後ぐらいに法的な対応をした。ビニールハウス内で、日当たりに合わせ、苗木の鉢を移動する仕事です。ちいさなポットから、腰の高さまでのものです。挿し木した苗木をある程度大きくする仕事です。この仕事も、二人でするわけではなく、いろいろな国の人も加わります。そして、雇い主が見ていないと、みんなサボるのです。比較的、アジア人は働くのですが、イギリス人なんかは、すぐ寝転がってました。あそこまで、サボると私などは逆に疲れるので、仕事をしていた方が良かったと感じるほどでした。

やってみたかったのもいくつもあった。養蜂の手伝い、全身防護服を着ての作業がカッコよかった。キゥイーや、みかんなどのフルーツの収穫。結局、やる前に、別の仕事で長期の仕事をもらえて、やれずじまいだった。

ズッキーニなどの農作物収穫をすると、少しもらえた。みんなが、いろんな農場にいっているので、食堂には、いろんな共同で利用できる食材が集まってくる。それも、うれしかった。

一人用テントでのホームレス生活。

最初の間は、ドミトリーにいたが、お金の安い、キャンプスペースに住む場所を変更した。やたらと大きいリュックサックに入っていた一人用のテント。日本の大きなスポーツ用品店で安く買った普通のテントである。その中に、寝袋で寝泊まりするスタイルになった。

最終的に半年ぐらいテント生活をすることになる。ランタンが置かれ、いろいろと快適になるようシートで補強したりした。毛布やいす、マグカップ、ラジオなど、物も増えた。

これが、日本であれば、ホームレスと同じである。

台所は、キッチンスペースがあり、調理器具の利用ができる。材料を持ち寄っての自炊です。作業に行くので、タッパにお弁当を詰めていきます。共同冷蔵庫、共同冷凍庫があります。最初、パンを凍らせているのが不思議でありませんでした。食材も安い麻の袋一杯の芋を買ったりしていた。あと、デジマイトやマーマイト。醤油味の臭い匂いのもの。臭いので、もう一度言います。臭いもの。最後は、普通にパンに付けて食べられるようになりました。

南半球で、何もないニュージーランド。星も、とても、きれいだった。テントから、頭を出してよく見ていた。何時間も見ていれるのだ。天の川が本当にきれいで、本当に川のようだった。流れ星もこんなに流れると、夢が全部叶っちゃうのではと思ったほど。

ハリネズミの赤ちゃんもここにいた。みんなが騒いでいるので、行ってみると野生のハリネズミを抱えている。私も手のひらに持たせてもらった。トゲがどれだけ硬かったかを思い出そうとしたが、忘れている。とにかく、かわいいのだけは間違いなかった。もちろん、野兎もいました。

テントスペースにある共同テーブルでのいろんな外国人たちとのやり取りも楽しかった。あまりしゃべれなかったが、どうにかなった。もちろん、日本人とも。夕方には、みんなでワインを持ち寄って楽しく飲んだ。

ライムもあるテキーラの一気飲み大会。塩もおいしく感じた。今思うと、メキシコ人がいたのか、定かではない。南米の人はいたとは思うが。そして、何でテキーラ大会になったのか、自国のお酒自慢から始まったかは覚えていない。みんな旅慣れている人ばかりで若い人から、年配の人までいろいろな層の人がいた。

ワインといえば、ワイナリーの仕事で、ブドウの収穫が本当にすごかった。糖分でブドウの皮の外側までベトベトで、収穫の手が開かなくなるのである。

週末は朝から酔っ払い。少しだけ、お酒が強くなった。

週末は、朝から紙パック2Lのワインを各々持参で飲んでいた。そして、広大なキャンプスペースの一角が大麻樹脂の臭いで充満するハシュシュ(大麻の葉に含まれる幻覚成分等を抽出したのがマリファナ)一部地域で手に入る。

近寄っただけで、頭がくらくらする。私も一度軽く吸った。私の場合、吸ったうちにも入らない量だったので、何もならなかった。近寄るのも、嫌悪するニオイである。

映画「ザ・ビーチ」ディカプリオ主演で話題になったのが2000年である。タイのピピ島で撮られた映画で、内容的には、大麻が大量に茂っている秘密の楽園の情報を聞き、冒険する話です。

この後も、東南アジアでいろいろな薬物に遭遇するが、大体抜けれなくなっている日本人がいる。日本でも、昔、新宿アルタ前でシンナーの瓶を普通に売買しているのを見たりした。ちょっと、脱線したので戻しますね。

仕事が終わって、リビングでみるシンプソンズが、待ち遠しかった。半分も理解できていなかったと思う。でも、面白いアニメだった。ビリヤードで日本対韓国の団体戦もやった。竹島についても討論になった。

イタリアの女の子がカッコよかった。イギリス女性にしっかりとした茶葉のアールグレイでミルクティーをごちそうになった。普段は、すたれたティーパックだが。年齢も若いのか、中年ぐらいなのか、年齢を聞けなかった。日本人は若く見えるというのだが、その人はキャンピングトレーラーで一人だった。チェコの人たちと特に親しくなった。チェコスロバキアとかあまりわからなかった。アメリカ。トルコ。南アフリカ。国の名前を上げるときりがいない。ヨーロッパ系が多かったが、みんな長期休暇を利用し、世界中を旅している人ばかりだった。

個人的には、イギリス人にジャグリングを教えてもらった。先生は背は高くないが、とっても、カッコよくてモテモテだった。暇なときは、ずっと、ジャグリングを練習していた。また、やってるよといわれるぐらいに。最終的には、4個を少しできるだけで5個まではできなかった。先生は6個も、7個もできた。偶数と奇数で違いがある。もちろん、今でも、3つであれば、いろいろな投げ方でジャグリングを披露できる。リンゴをかじりながら、いろいろな投げ方ができる。やわかめのリンゴがあれば。

2000年の年明けはここで迎えた。クリスマスからずーと飲み会が続いた。Twitterのタイトルの写真が新年なのか、クリスマスの時なのか、良くは覚えていないが、プールに落ちているびしょ濡れの男が私であることは確かです。この写真では、暗くてわからないが、長髪にして後ろで縛っている。172cm、65kg。胸囲が105cm。デブではなく、普通の感じで、この5年前ぐらいにはトライアスロンに挑戦していた。今と体形は変わっていないが、糖尿病で動けていない。と、また、脱線しながら自慢話をしてしまったので、戻すことにする。

ブルーハーブ、簡単に言うとハーモニカにも挑戦したが、諦めた。持ち歩くだけにした。現在も、常にカバンに持っているので、演奏できるようになりたいと、時折思っている。

原住民マオリ自治区へ遊びに行った。

マンダリンの長期間仕事をしていた所に、ニュージーランドの原住民マオリの女性の上司がいた。、その人はケリケリの町に住んでいましたが、両親の住む実家に遊びに行かせていただいた。その時、日本の友達もどうぞということで、5人ぐらいで行ったような気がする。

原住民用の広大な山や入り江を持つ土地は、とっても、素敵だった。入り江を見下ろす山腹に母屋があり、平屋で広々としたロッジを親が自分で建てたといっていた。側面が全面ガラス張りでいくらしたのか気になった。20mはある横長のロッジ。暖炉があり、大画面でラグビー観戦をした。当時、オールブラックスのウマガの大ファンだった。

私たちはその後、土ボタルといって、ヒカリキノコバエの幼虫ですが蛍のように発行するものも見に行った。泊ったのは、別の棟で上司夫婦が自分たちで作ったというバンガローに泊った。

初めてボートで海釣りをした。ニュージーランドは谷から海の方へ下っていく景色がとてもきれいなところが多い。空から海までの青のグラデーションが最高です。岸辺に立ち、見下ろすと20mしたが透き通ってみえる。

また、初めて、海の上で野糞というか、お手洗いをボートの端からさせてもいただいた。そんなすてきな場所で申し訳ない。そして、恥ずかしかった、ボート前方には女性陣もいるのに。釣りの方はというと、人があまり来ない土地ということで簡単に釣れた。大体見渡す土地を3家族ぐらいで利用しているということだった。その後も何度かお邪魔させていただいた。

ちょうど、ビザが切れる日まで一年間、ニュージーランドにいた。そして、オーストラリア、タイと旅は進んでいく。今回で、ニュージーランド編最後になります。エピソードは、まだ、いくつもあったのですが、この先、微笑みの国タイから再開になると思います。

そして、最後に、今は経営者が替わってしまったというHideaway Lodge のPam&David Williams に感謝です。

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