カオサンロード バックパッカーの吹き溜まり

ファインマン記

今日の話は、カラバオのメイドインタイランドが頭の奥に流れるアメージングタイランドのはなしです。バックパッカーとして、ムンムンとする空港からカオサンロードへ着いたところから。

カラバオのメイドインタイランドを聞きながら

よかったら、下の曲を聴きながら、読んでいただけたら嬉しいです。タイの曲はどれも耳にやさしい曲で言葉がわからなくてもずっと聞いていられる曲が多いのでお勧めです。言葉も覚えやすいのでチャレンジも良いかも。大分古い曲になり、何時消えるかもわかりませんが、私の大好きな曲です。カラバオのメイドインタイランド。

カオサンロード バックパッカーの吹き溜まり

「マッサァジどですかぁ?」タイ伝統マッサージの呼び込みです。大きなバックパックを背負い、オーストラリアで知り合った日本人に聞いた宿屋目指して、カオサンロードにやってきました。やっとの思いで、お目当ての宿を見つけられたうれしさ。タイは暑くて、体力もヘトヘトでした。

2段ベットの上のベットにたどり着きました。シーツなどは交換されているようでした。80Lのバックパックを降ろせたためか、疲れたのでタイ初日はすぐに眠ってしまったのを覚えています。

それからバンコクについて、一週間、何もしていませんでした。観光といったら、ウィークエンドマーケットへ行っただけで満足でした。

タイというか、東南アジアの雰囲気がよかった。どこを歩いても新鮮でした。観光地など行かなくても新しい発見がありました。ごちゃごちゃとした雰囲気の中、活力というか、力強いものを感じて新鮮でした。

屋台の食べ物もどれもおいしかった。衛生面は問題があるとは思いましたが、私は好き嫌いがなかったので、何でも食べました。スープに虫が入っていても、よけて食べれるぐらいです。日本に帰ってからはそうではないですが。特にトムヤムクンは好きで、今でもよく食べます。

日本食レストランは高いのですが、日本食が恋しくてよく行っていました。日本の漫画が置いてあるのです。

もうすぐ、帰国をして、会社員に戻るのかなぁと漠然と考えていました。

トゥクトゥクやバイク便を利用し、バンコクの中心地の日系デパートやいろいろな問屋街に出かけました。趣味でビーズのアクセサリーを作っていたので、それもいいかなぁとか、木工の家具の輸入や小物のバイヤーなんかもできるんじゃないかと思いながら。

観光地ではない何でもないアジアの路地裏を歩き回りました。現地の人と比べてもけして高価とは言えないような汚いTシャツを着て。長髪で後ろ髪をゴムでしばったむさ苦しい当時31歳になったばかりのファインマンです。

毎晩、いろいろな国に行ってきたバックパッカーとお酒を飲みながら旅の話をしました。日本人の多く泊まる安宿だったので、というか、そういう情報を基に来ているので、当然ですね。

100か国以上の国に行った人とかも何人かいました。バンコクは、いろいろな国に行きやすいのもありますが、住みやすいのも要因で日本を離れ、タイに安いアパートを借りて荷物を保管している人も当時からいました。

セミリタイヤを夢みてみんな頑張っていました。本業で頑張るか、派遣などである程度働いては、旅行を繰り返す人が多かったように思う。

年配の人はたくさんいましたが、完全にそのような方はリタイヤ後の第2の住みかとして。なので、住むエリアが違いました。

タイ伝統マッサージ

タイの伝統マッサージは、どの安宿でも一階にマットを並べて営業をしていました。タイの有名なお寺ワットポーでは、そのマッサージを教えています。旅行者の中には勉強をして帰る人もいました。

私はというと、安宿で観光もしないで一階でボーとしていることも多く、一階でマッサージをしている女性たちと片言の日本語や日本語がわかる人を通して会話を楽しみました。

マッサージの勧誘が、店の前をバックパッカーが通るたびに、あちらこちらで声があがります。タイ式のマッサージと、足つぼマッサージに大体分かれます。足つぼの方は本当に痛く、わめくと体のどこどこが悪いと教えてくれます。

足つぼは置いといて、タイ式の伝統マッサージはおすすめです。本当に効きます。そんな気がします。ちょっと、強すぎてマッサージ後に、全身が悲鳴を上げる人もいますので、注意が必要かもしれません。

仕事がない時には、宿のお客とおしゃべりをしたり、屋台の食べ物を買ってきては食べたりと和気あいあいな感じなので、タイ語を教えてもらったり、日本語を教えたりしていました。いろいろと聞くと、どこどこにいい店があるとか、どこの問屋街がおすすめだとかと情報も教えてくれます。

タイの交通事情

私がよく行っていた2000年ごろは、まだ、バンコクは世界でも交通渋滞が凄い都市の一つでした。東南アジアでは、夕方スコールがきます。バケツを本当にひっくり返したような雨です。雨が降っている所と降っていない所で境が目ではっきりとわかるんです。

夕方バスに乗って、スコールにあったって最長2時間動かないこともありました。乗って、動かないまま、降りたこともあります。排水も脆弱なので、いたるところが浸水し、足首まで濡れないと移動ができない感じでした。

バスもエアコン付きと、そうでない物があり、安い方のエアコンがない方は大変でした。満員電車に乗ったようなごった返しのバスの中、首振り扇風機が早く自分の方に回って来てほしいと、良く思ったものです。

バンコクでは、一方通行が時間で切り替わり、反対方向に変わったりもするので、道を知っていないと運転もできません。大通りに出る脇道に信号がないところも多く、強引に車の頭を入れないと、一歩も動かないそんな状況でした。さらに、バイクも多く、危険です。三輪バイクのツゥクツゥクにのっていると、オープンカーみたいなものなので、バスや車の排気ガスが凄かったです。

バスのターミナルから、長距離バスに乗ることもあります。こちらも、安いバスと高いバスがあり、エアコンの有無、トイレや飲み物がつくつかないで値段が違います。私たちにとっては、高い方を選んでも、大した値段ではないのですが、タイの人にとっては、大きいようで、8時間の長距離でも考えるようです。

最速のバスになると、ビザ更新ツアーでカンボジアの国境まで、休憩が数回で2~3時間だったような気がします。普通のバスでは10と数時間かかります。ご丁寧に全ての停留所に止まります。

鉄道もあります。電車だったと思いますが、線路沿いにバラックが立ち並び怖いくらいです。本数もないので、電車が来ない時には、線路の上を自由気ままに使っていました。

こちらも、高い車両と、安い車両がありました。安い車両ではいろんなものが乗っていました。マーケットに並ぶ、食材や鳥などいろいろです。混んでいる時には、網棚で寝ました。親切に日本人だからとすすめてもらいました。

元になってしまいましたが奥さんと出会う

人恋しく思っていたのかもしれません。宿の一階でタイの伝統マッサージをしていた彼女と出会います。何度かマッサージはしてもらったとは思いますが、下心があってという事はありません。

買い物の時に、店まで案内してもらってから、少しずつ親しくなりました。日本語をまるっきり話せませんでしたので、私が一生懸命タイ語を覚えました。

日本語を話せる人を介して話すこともありました。彼女は一度離婚をしていて、二人の女の子がいました。二人ともお金もなく、彼女の子供も実家の母に預けてバンコクで働いている状態でした。

ビザを延長して、彼女との時間を作りました。帰国後に糖尿病と診断され、緊急入院することになるのですが、まだ、若かったこともあり、正常値ぐらいまで回復することができました。

それでも、体調を考え、肉体労働ではなく、人材派遣会社で管理する側の仕事をさせていただきます。私の家は母子家庭で私が高校生の時ぐらいから付き合っていた母の彼氏がリサイクルショップをしていました。15年ぐらい付き合っていましたが、籍は入れていない内縁の夫という関係だと思います。

リサイクルショップというのは、人材派遣会社と仕事の付き合いが多くあり、コネという形です。日系ブラジル人の管理で多い時には、ブラジル人を使い、2百人ぐらい管理していたと思います。工場への派遣です。自動車会社の本社工場で働いていました。

彼女とは長距離恋愛という感じで電話で片言の話をしていました。週に一度でしたが、国際電話に凄いお金をかけていました。半年に一度ぐらいで長期お休みをもらい、タイに通うようになります。一回に一ヶ月ぐらい行っていたと思います。

会社も良く許していたなぁと思います。いない間は、部下の日系ブラジル人に全てお任せです。でも、日本にいる間は、生活の世話から何から何まで、部下の日系ブラジル人数名と日本人の私で全て対応していました。日系人だけの派遣会社もあるんです。寮なんかも、人材派遣会社が大きいマンションを数棟建てて。

病気や子供の学校の事。通勤のバスや自家用車利用の相乗り者手配。新しく日本に来た人には、水洗便所の使い方の講習もしました。ラインでどうしても、欠員が埋まらなければ、私が入ります。覚えも、ライン作業も得意な方でしたから。

そんな交際が数年続きますが、今回はここまで。

コメント

タイトルとURLをコピーしました